2021.05.17

アニメのススメ。 -変化し続ける「オタク」の在り方とは?現代社会におけるアニメ鑑賞のススメ

普段何気なく見ている、数々のアニメ。幼い頃に見ていたあの作品、今流行りのこの作品も、少し見方を変えるだけで違った楽しみ方が現れてきます。

このシリーズでは、今までとは少し違ったアニメの見方、すなわち「アニメのススメ」を紹介していきます。あの作品、この作品に隠された秘密を、一緒に解き明かしていきましょう。ただ「見る」だけでは決して出会えなかった作品との素敵な出会いが待っているかもしれません。

今回は、日本の「オタク」と呼ばれているアニメファンの歴史を追いながら、「オタク」と呼ばれる人々が持つ性質の傾向が数十年間でどのように変化していったのかについて取り上げます。そして、変化し続ける現代社会においてアニメ鑑賞が持つ意味について考えていきます。

多様な人々に受容される日本のアニメ。「オタク」の昔と今

読者の皆さんは、「オタク」という言葉を聞いてどのような印象を受けますか?「俺オタクだから」、「私オタクだから」などという自己紹介の文句が横溢している現代社会。かつてはアニメーションや特撮、ゲームなどといったサブカルチャーに特別な熱意を注ぎ、社会性よりも趣味性を重視していた人々が「マニア」「おたく族」などと呼ばれ、時には蔑称として用いられてきました。しかし、現代ではアニメーションや漫画、ゲームといった娯楽は所謂かつて「マニア」と呼ばれていた人々ではない、様々な傾向を持つ人々に受容されています。「ぼくオタクなんだよね」という自己紹介が、「こう見えて俺はこのジャンルに詳しいんだぜ」という風に肯定的な意味合いを含む傾向さえ生まれるようになりました。

特別な知識や技術を持たなければ「マニア」と呼ばれることがなかった時代と比較すると、現代の「オタク」という言葉は非常に世俗化、多様化のきざしを見せているといえるでしょう。

「otaku」という言葉は、インターネット・メディアを介することで海を越えた受容がなされつつあります。時には『クールジャパン』というフレーズと共に国全体でサブカルチャーを支援しようとする動きさえ生まれることのある現代の日本と、かつてのサブカルチャーが発展途上期にあった頃の日本。数十年間で「オタク」の性質は、どのようにして変化していったのでしょうか。

1970年代の「アニメファン」と現代の「オタク」の違い

まだ「オタク」という言葉が生まれていなかった1970年代。「おたく」という言葉は、コラムニストの中森明夫が1983年に使用したものが最初期の使用例であるといわれています。1970年代における現代の「オタク」に相当する言葉は、「マニア」、もしくは単に「アニメファン」だったといえるでしょう。

1970年代末期になると『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のブームによって「アニメ」ファンの人口が一気に増加しますが、それ以前の時期においては文献資料や当時の人々の発言を確認する限り、少数精鋭の様相を呈していたように思えます。ファン全体の人口は現代とは比較にならないほどに少ないものの、「アニメーション」に特別な熱意や愛情を注ぐ人々が多様な活動を積極的に行っていた時代があったのです。有志による上映会や自主制作アニメの制作、批評系同人誌の発行が活発に行われていたのがこの時代です。

いわゆる「ロリコン」ブームが発生したのも1970年代末期で、吾妻ひでおや内山亜紀に代表されるような漫画家がそれまでの劇画的なタッチとは一線を画す、児童向け漫画や少女漫画のようなかわいらしいタッチで青年向けの漫画を描くようになりました。この文化は現在の「萌え絵」文化に直結するものだといえるでしょう。

このような傾向は、しばしば世間を騒がせる犯罪と共に語られ、世間からの蔑視の対象となりました。中森明夫が1980年代に「おたく」という言葉を軽蔑の意味合いで用いたことからも、こうしたファンダムに対する否定的な目線が窺えます。

「アニメファン」の時代から40年が経過した現代。「オタク」(ひらがなからカタカナの表記が主流になりました)という言葉はもはや完全に世俗化し、かつてのようなネガティブなイメージは払拭されつつあります。スマートフォンやインターネットの普及によって従来のファンダムとは異なる層の人々が積極的にサブカルチャーを受容するようになりました。

一方で「にわかオタク」という言葉に象徴されるように、現代の「オタク」間では「そこまで知識やリテラシーは持ち合わせていないが純粋にアニメが好きだ」というような人々を排斥する空気が漂うことがあります。「表現の自由」という旗のもとで、特定の人々を傷つける表現を肯定してしまう潮流が現れることすらあります。

果たして、「オタク」は本当に多様化したのでしょうか。多様化した「オタク」が、自分とは違う傾向を持つ別の「オタク」を攻撃するような様相を呈してはいないでしょうか。我々はこの現状について、いま一度疑問視する必要性があるのかもしれません。

変化し続ける社会の中で、アニメを鑑賞していく意味とは

かつては「少人数による濃い」ファンダムが形成されていたものの、大衆化が進んだ現代ではもはや誰もが「オタク」を名乗る時代になっています。では、現代においてアニメを観るという行動は、我々にとってどのような意味合いを持つようになったのでしょうか。

コロナ禍やそれに伴う社会情勢の変化によって閉塞感が高まっている社会のなかで、現実では体験することのできない様々な想像の世界を疑似体験することができるアニメは人々にとっての清涼剤として機能しています。表現の自由度が高く、無機物に生命を与えたり、人間を怪物にメタモルフォーゼさせたりすることだって容易く可能にしてしまうアニメーションの世界は、閉塞感が高まっている社会を創造的な世界へといざない、感情を開放させる機能を担っているといえるでしょう。

『鬼滅の刃』『呪術廻戦』の大ヒットに代表される、「誰もがオタクを名乗る時代」の到来は、そうした社会の変化が関係しているのかもしれません。アニメは社会の変化に対応すると共に、社会そのものを変化させる力も持っているのではないでしょうか。

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かねひさ和哉

かねひさ和哉

2001年生まれの大学生ライター。幼少期に動画サイト等で1930-40年代のアメリカ製アニメーションに触れ、古いアニメーションに興味を抱くように。以降活動の場を広げ、研究発表やイベントの主催などを行ってきました。とにかく「動く絵」ならなんでも飛びつく筋金入りのアニメ/映画好き。 https://note.com/kane_hisa
Twitter:@kane_hisa

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