【ナンスカピーポー】「普通じゃない」と笑われたからこそ今の自分がある(第3回 服部美樹さん)

川勝小遥
川勝小遥
2019.05.20
服部さんの代表作品

どもー!川勝小遥です。

ナンスカピーポー第3回目は金工作家の服部美樹さんです!

彼女とはTHE blank GALLERYにて開催されたザ・プレミアム平成ショーというグループ展示で出逢いしました。服部さんによると私が凄く知り合いに似ていたそうで、展示会場でバッチリ目が合い、そこから自然とお話して意気投合しました。
時期は被っていませんが、なんと地元の美術予備校も一緒だった事も発覚し、運命に引き寄せられたなと感じています。

言わずもがな、服部さんの作品はとにかく精度が高いです。パーツひとつひとつが気が遠くなるほど精密に作られているからこそ、それらが組み合わされる事により、化石や細胞などプリミティブで生命力ある世界が説得力を持って表現されています。また、ダイナミックなモーショングラフィックスを見ている様な心地にもさせるのは、彼女がCGの分野からも影響を受けているからなのでしょう。

そんな服部美樹さんのターニングポイントや実現したい事について伺ってまいります!

似顔絵の色彩表現を「普通じゃない」と笑われた小学生の記憶

幼少期の服部さん
幼少期の服部さん

__今の活動に至るまでの経緯やターニングポイントを伺えますか?

はい、私は茨城県で生まれ、6歳から22歳まで神戸で暮らしていました。父がプロダクトデザイナーでありながら仏像コレクター(ちなみに母方の家系は仏像を取り扱う、奈良県内でも有名な古道具屋さん!)、母も陶芸をしていたという影響もあり、毎日見る家の食器は個性強めでした。
テレビを見ることは禁止されていて(100円玉を入れないとテレビは見れず、見れる番組も動物番組のみ)、小さい頃から世間一般のよくある家庭とは見るものが違った環境に身を置いていた為か、独自の世界観を持った子供でした。小学校の頃に似顔絵で他の子とは一風変わった色彩表現をしたことで、「普通じゃない」と笑われた記憶が未だ鮮明に思い出されます。

 

__その頃から創作活動をされていたのですね!

当時、自分の絵を笑われたことはショッキングな出来事でしたが、きっと今の表現に繋がる大事な原点だったように思います。
ですが、それよりも当時は音楽に興味がありました。
13歳の頃に
管楽器を演奏したくて吹奏楽部に入部したのですが、楽器争奪ジャンケンに負けてしまいドラムの担当をすることになるんです。その後ドラムは好きになるのですが吹奏楽部でのドラムってあまり出番がないんですよ。それでどこかやりがいをなくし、半年程で退部をした後、ヤマハ音楽スクールに通わせてもらってドラムのレッスンを受け始めました。
中学時代はバンド活動に憧れながら、大阪の南堀江にあるアメリカ村というファッションや音楽などのカルチャーが盛んな街をうろつき始めます。
アメ村で見た欲しい服を自身で作ってみたりもしましたよ。アメ村のレコード
店に置かれた数々のバンドのフライヤーに魅了されて、特にモンスターの皮膚がただれた様な、おどろおどろしいサイケデリックな世界観のイラストが好きでしたね。

服部さんの絵の作品(2018年)
服部さんの絵の作品(2018年)

ちなみに、中学の時のバンドの動画も残っているんですが、

__めっちゃ見たいですっ!

こちらです!

ハードコアやメロディックパンクにハマった学生時代

__音楽漬けだったんですね! 当時はどんなミュージシャンにハマっていましたか?

中学時代はブルーハーツが好きでしたね!
高校に入ってからは自分自身がバンドすることに没頭していきます。分野は
ハードコアやメロディックパンクです。自身のバンドのフライヤーも作ったりし始め、表現することに興味を抱いたのもこの頃が始まりでした。

__お、徐々にアーティスト服部さんが開花して行くのですね!

バンド活動だけで食べて行くという気概を持ちながらも、1人で表現することへの興味が膨らむんです。やっぱり自分の世界観作りが好きである事を再認識し、20歳を過ぎてから神戸と大阪の美術予備校に通いデッサンを学び後、22歳で金沢美術工芸大学に進学します。
そこで金属をドラムの様に叩く事に夢中になりました(笑)。
金属光沢を持ちつつもビビットな色味に染色されたアルマイト着色という技法に惹かれて、自身の作品にプラスしていきます。
大学卒業後は
現代アーティストの明和電機さんのマネジメントスタッフとして働きながら、スタッフ業務を通じて出会う第一線で活躍しているアーティスト様や様々なアートを知り、大きく刺激を受けました。

その頃は自分自身の作品発表はしていませんでしたが、自宅をアトリエにし、制作はコツコツと続けていました。

初期の作品
初期の作品

その後、骨壷デザイナーという一風変わった職に付きますが、その頃は比較的、勤務時間が規則正しかったので、安定したペースで制作活動も行えていましたね

制作は続けていたものの、作品を温めたまま展示などはせず、世に出す事していませんでした。そこで、自身でブースを貸りる形式のフェアに出展。気付けば大学を卒業してから6年経っていました。正直、ブースを貸りる時は「これまで作ったものを見て貰うことで満足したら、制作欲もおさまるだろう。旋盤漬けの日々を脱却できるかもしれない」と考えていました。

しかし結果、出展したことが皮切りとなり、様々な展示会に呼んで頂けるようになり制作欲はおさまることなく今に至ります

現在の作品その1
現在の作品その1
現在の作品その2
現在の作品その2

いつかディズニー映画のキャラクターとして作品を登場させたい!

__明確なターニングポイントがあったのですね! 並大抵の覚悟ではないですね。カッコ良いです。。! 既にご活躍をされている服部さんですが、今後実現したい事はありますか?

そうですね、まずはもっと広い世界で多くの人に作品を見てもらいたいという事です。欲言えば、サザビーズの書籍に載るようなアーティストになりたい、、。それから、ディズニー映画で私の作品がキャラクター化され、登場して欲しいなと夢描いたり(笑)アニメーションはかなり興味があって自分でできる範囲のことはやっていきたいです。

__壮大な夢でありながらも、服部さんなら想像ができます。。!素晴らしいです! 最後に皆さんに伝えたいことや告知をお願いします!

秋に金工作家の合同展示「第35回淡水翁賞受賞者展」に参加します。気になった方はぜひ実物を見に来てください。

 

会場:壺中居(銀座)
期間:201910月15日(火)~19日(土)
http://www.kochukyo.co.jp/antiques-kochukyo.html

 

__服部さん、ありがとうございました!


次のナンスカピーポーは彫刻家の平田尚也さんです。お楽しみに!

服部美樹プロフィール紹介

服部美樹プロフィール写真

服部美樹

1983年 茨城県生まれ、兵庫県神戸市で育つ。現在、東京都内にて制作活動中。
丸棒を削り出し無数の金属パーツを作製、それらをネジの仕組みにより組み上げることで摩訶不思議な金属オブジェを製作。
オブジェは遥か遠くの宇宙から流れついた未来からのプレゼント。

リンク集
公式サイト http://hattorimic.com/

川勝小遥
WRITER PROFILE

川勝小遥

1990年生まれ京都市出身。空間演出作家、兼アートキュレーター。見た目は派手だけど、根はすっごく真面目。ドバイやバナナに興味津々。

Twitter:@1126koharu
Instagram:@koharu_kawakatsu

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