カンニングで退学!?誰もが知ってる文豪のビックリエピソード

谷口純平
谷口純平
2021.02.13

芥川龍之介や夏目漱石といえば、誰しも一度は聞いたことがあると思います。彼らをはじめ、『文豪』と呼ばれる人たちは、数多くの傑作を発表し、近代文学に大きな功績を残しました。歴史的価値がある資料の保存、業績を顕彰することを目的として、石川啄木や夏目漱石などの記念館もあるのです。彼らの存在なしでは、現代の文学を語れません。

しかし、そんな文豪たちにも、作品からは考えられないような一面があったのです。例えば、ほとんど風呂に入らなかったり、はたまた2回もカンニングして退学になったりなど。

今回は、もし文豪が現代で生きていたら間違いなく変人扱いされてしまうような、クセのあるエピソードを紹介します。

イケメンでロマンチスト。なのに身の回りは‥‥。文豪中の文豪、芥川龍之介

愚かさや醜さなど、人間の心の繊細で複雑な暗部を卓越した文章で表現した、日本を代表する大正の文豪、芥川龍之介。代表作の『羅生門』や『鼻』などは、国語の授業などでも取り上げられ、日本人であれば、誰しも一度は彼の作品を読んだことがあるのではないでしょうか。

天才的な表現で多くの人を魅了してきた芥川。勉学に優れており、容姿も整っていたそうで、当時からモテモテ。彼の周りには常に女性が絶えなかったようです。そんな芥川ですが、かなりめんどくさい一面も……。恋心を抱いた人にはとても積極的で、必ず熱烈なラブレターを送っていたのです。

彼のラブレターは数多く残されていますが、その中でも、後に妻となる文に送ったラブレターに

文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘ぢやありません

という1文が。みさなん、いかかですか?小説家ならではの独特な比喩表現ですが、ロマンティックというか、ちょっと猟奇的かも。
自分の世界感を確立している文豪だからこその愛情表現かもしれませんが、このラブレターをいきなりもらったら、少し怖いかもしれませんね。

知的で整った容姿の芥川は、岡本かの子や三宅やす子など、数多くの女流作家からも大人気。「隆鼻の紳士」なんて呼ばれ、ずいぶんともてはやされていたそう。しかし、実はは大のお風呂嫌いだったのです。滅多にお風呂に入らず、垢だらけで近づくと体臭がきつい不潔男子。それだけでなく、愛煙家の芥川は、1日に180本もタバコを吸っていたという逸話があるほどのヘビースモーカーで有名です。

数々の傑作を世に残し、日本文学に大きく貢献した芥川。明敏な知性と整った容姿で女性を魅了し、モテモテだった一方で、滅多にお風呂に入らず、体臭がきつい男だったのです。何か常人には理解できないこだわりがあったのか。身近にいたら理解に苦しむ人ですね。ある意味複雑でめんどくさい芥川の感性。そこから、時代を超えて読み継がれる傑作がうまれたとは、なんだか感慨深いですね。

カンニングがバレて退学。借金だらけのダメ男はあげくの果てに…。石川啄木

『一握りの砂』や『悲しき玩具』などで有名な、明治時代の詩人、石川啄木。若くして詩人としての才能を発揮し、明治の天才歌人と謳われる石川ですが、実は相当な「ダメ男」として知られています。彼のダメ男っぷりは生粋もの。授業をサボって出席日数が足りなくなったり、しまいには2回もカンニングがバレて、学校を退学させられているのです。

子どもの頃からダメ男だった石川ですが、そんな彼のダメっぷりは、大人になっても変わりません。石川は18歳で中学の同級生だった堀合節子と婚約します。文学で身を立てようと、東京へ上京していた石川。結婚式のために、岩手へ向かいますが、何を思ったか、突然結婚式をボイコット。途中の仙台で下車し、旅館でダラダラしていたのです。挙句の果てには宿泊代が払えなくなり旅館を追い出される始末……。そして石川は、数日後に何食わぬ顔で節子のもとに現れたのでした。

結婚してからは、北海道で新聞記者として勤めることに。幼少期から文才があった石川の文章は高く評価されました。ただ、やはりここでも石川はダメっぷりを発揮。遅刻や欠勤は当たり前の劣等社員だったのです。そんな当時の石川が詠った詩があります。

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

世が悪くて、働いても働いても一向に生活は豊かにならない哀愁の詩を詠っています。遅刻や欠勤を繰り返し、決して真面目に働いていたとは言えない石川。まさか、うまくいかないことを世間になすりつけた他責の詩だったは驚きです。

また、石川の代表作に

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

という詩があります。この詩の意味は「ふざけて母をおぶってみると、あまりにも軽いことに気がついて悲しくなる」といったもの。しかし石川は、母を背負うどころか、なんと多額の借金を背負っていました。当時60人以上の人からお金を借り、総額は現在の価値で約1500万とも言われております。さらにそのお金で毎日お酒や女遊びに明け暮れていたようで、非常に呆れたものです。

人々の心情を代表するかのような、生活に根ざした詩は、多くの人の共感を集めました。これは、誰もが持っている人間的な弱さを人一倍体現している石川だからこそ表現できる詩なのかもしれません。個人的には絶対に友達にはなりたくないですが……。

神経症で胃弱なのに、意外にも〇〇には目が無かった、夏目漱石

『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』など、知らない人はいない数々の名作を残してきた夏目漱石。髭をたくわえ、ダンディなイメージのある夏目漱石ですが、実は心身ともに弱く、常に病気がちでした。幼くして養子に入れられた漱石は、3歳のときに天然痘を患ってます。さらに、就職後の英語教師時代には、神経衰弱で職を失っているのです。そんな漱石は、友人であり作家の高浜虚子から小説の執筆をすすめられます。そして不幸中の幸いか、実は神経衰弱の治療で初めて書いた小説が、あの有名な『吾輩は猫である』だったのです。その後もリハビリのために小説を書き続け、作家デビュー。

また、精神病の他に胃潰瘍まで患っていた漱石。そんな胃弱でありながら、意外にも超甘党。羊羹やシュークリームなど、甘いものには目がなかったそう。毎日ジャムをそのまま舐めていたことを医者から注意されるほどでした。脂っこい食べ物も好物で、病弱にもかかわらず、体へ負担のかかる食生活を送っていたようです。

また、漱石は執筆に行き詰まると鼻毛を抜いてキレイに原稿に並べる癖があったそう。この癖は漱石自身も公言しています。みなさんご存知かもしれませんが、『吾輩は猫である』に登場する漱石をモデルとした人物は、甘党で鼻毛を抜いて原稿用紙に植え付ける癖がありますよね。

幼少期から孤独や病気に悩まされてきた漱石は、弟子や周りの人たちの質問にも真摯に答えていたそうです。そのため、漱石の門下生には、芥川龍之介をはじめ数多くの作家や文化人がいました。少し変わった一面もありつつも、人望が厚い人であったことがうかがえます。

文豪だって人間だもの。文豪のキャラクターを知って文学作品をより楽しもう

明治から昭和にかけて激動の時代を切りとり描写してきた文豪たち。少しだらしなかったり、過剰な愛情表現だったりと、作品からは想像できないような、エピソードがあるのです。教科書に載るような文豪たちでも、私たちと変わらない、むしろ一見奇人かとも思えるような一面がありました。そうした文豪の人間性も踏まえて作品を読んでみると、より文学が面白くなるかもしれません。

参考資料:「レジェンド文豪のありえない話」株式会社ダイアプレス
谷口純平
WRITER PROFILE

谷口純平

福岡在住。伝統工芸など日本文化を中心に活動。夢は「小学生のなりたい職業ランキング」の10位以内に"職人"をランクインさせること。折り紙は結構得意です(折紙講師資格取得)

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