悉皆(しっかい)という言葉をご存じでしょうか?
国語辞典には第一義に「残らず すっかり 全部」とあります。文字通り、「一つ残らず、ことごとく」。もともとは着物に関する言葉で、「しっかり」の語源とも言われています。
例えば、金沢の加賀友禅は白無垢の反物が着物に仕上がるまでに30余もの工程を踏みます。分業制が進んでいて、それぞれの工程で腕の立つ職人がいます。その中で、腕のいい職人ほど、持論ややり方を曲げない、気難しい人が多いです。そういった気質の人達をまとめ、間を取り持ち、調和を作り出す仕事を 「悉皆(しっかい)屋」と呼んでいるのです。
技術力ではどの工程の職人さんも矜恃があり、自分のやり方を譲りません。そうした人の心をつかみ、自分の思うように仕事に導く—――それが悉皆屋のしごとなのです。
悉皆は職人さんの仕事ぶりに対する深い尊敬と深い理解、そして深い知識なしでは始まりません。それをもって、職人たちと対峙し、自分の創るべきものに力を結集するのです。
今回は、芸術のジャンルを超えて作品を作る、「宝珠悉皆師」という耳なじみのない肩書をもっている那須勲さんのアトリエにお伺いしました。
宝珠悉皆師という仕事
那須勲さんの仕事は、まさに「宝珠悉皆師」その名の通り、技巧の匠たちを自分の手足のように使い、あらたな芸術を創作することです。いうなれば、芸術作品の総合監督です。
さまざまな巧芸技術を組み合わせ、作品が出来上がるまでの工程を、細部まで考えて抜く、最終的なアウトプットのイメージは彼の頭の中にあり、それを具現化するには何をどうしたらよいか、という構想の下、工芸品作家や工芸品職人の技を凝らすのです。
世界を知り、日本を知る。日本文化への興味
大学在学中から、海外留学やバックパックを担いでの海外放浪を重ねていくうちに、いつしか日本という国そのものに興味がわいてきます。独学で日本文化について造詣を深めていく中で、本格的に日本文化を知りたいとの欲求にかられるようになります。それがのちに煎茶道や三味線へ傾倒していくのですが、若かりし頃の海外の放浪という経験がなければ、おそらく今の彼はなかったでしょう。
彼はその後、「日本の文化と風土を後世に残す」ことをテーマにしたNPO法人の設立や、国際交流団体の実行委員長として宝珠悉皆師としての手腕を発揮していきます。
宝石ではなく、宝珠の悉皆屋
インタビューの中で印象的だったのは「運命的な人との出会い」。そうした出会いが彼を宝珠悉皆師への道へといざなっているように私には聞こえてきます。メキシコを訪問中、たまたま出会ったオパール鉱山主との出会いが、宝石商を志すきっかけ。その時なけなしのお金をはたいて購入したオパールの原石が今も彼のもとにあります。それは初心を忘れないため。今でもその奇跡的な出来事が彼のアーティスト人生に大きくかかわっています。
幼い頃から石に興味があった彼でしたがこれを機会に本格的に宝石に携わり、その造詣を深めていきます。さらに石の買い付けに原石を発掘する鉱山への訪問するなど積極的に行動し、宝石のデザイナーをはじめ宝石に関わる業務全般を一通り行い、ジュエリー会社を立ち上げます。
その後、アーティストとして活動し始めるきっかけも、大阪の画廊の主の一言でした。40代となった時、その人の一言がなければ思いも及ばない転身。アーティストとしては遅咲きでしたが、初の個展は阪急うめだ本店の美術画廊という華やかな舞台。
そこで彼は宝珠悉皆師として装身具としてだけでなく、神話的世界観を内包した作品でデビューします。
ジュエリーデザイナーとアーティストの境
すでにジュエリー会社を立ち上げていた彼にはそれなりに客がついていたものの、アーティストとなったからにはその人たちとの関係はしっかりと区別するということで、創作活動を開始する頃には徐々にジュエリー会社の顧客と一線を画すようになったと言います。
アートとは何か、アーティストとは何かを尋ねると、彼は自身の世界観をどれだけ作品に注入できるかにあると答えます。
ジュエリーのディレクションは顧客の意向が強く世界観を支配します。顧客の要求する美を具現化することに対し、宝珠悉皆師としての仕事は自分の世界観を追究し形にするのです。それが決定的にアウトプットの違いとして出てくると言います。確かに彼の宝珠悉皆師としての仕事は神話的世界観が強く、見る人にとって難解でありながら、大いなるものへの畏怖と、それに対する祈りも内包しているのです。神話的世界観というよりは、プリミティブな祈りに近いかもしれません。
すべてに長い物語がある
彼の作品は神秘的です。宝石ではなく、宝珠。宝珠悉皆師として、工芸技術を組み合わせて生み出されるその作品は、装身具というよりは神事に使われる道具という印象が強いのです。そして、作品一つ一つに物語を秘めています。
彼の最初の作品は、彼の中で、長女が巣立つ時に手渡したいと考えていると言います。なぜならその作品が彼女の出生に大きく関わっているからです。
作品は生み出されてもなお、物語を紡ぎ続ける。彼の作品にはそれぞれ生まれるまでの物語と、生まれてからの物語があります。モノや人にまつわる物語に、彼はこだわるのです。そしてそのこだわりは、映像の世界でもいかんなく発揮されています。彼は今、古民家移築の大掛かりなプロジェクトに携わっており、ドキュメンタリー作品を作っています。ここでも悉皆屋の手腕は余すことなく発揮され、撮影クルーを束ね、映像を紡いでいるのです。
インスタグラムなどでは彼の短編映画を見ることができます。石に限らず、あらゆる分野で悉皆師として活躍する彼の今後の活動も目が離せません。
クリエイター情報(2021年2月16日現在)
那須勲(なす いさお)
公式サイト http://isaonasu.com/
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