2021.12.01

彼こそ、マルチクリエイターの先駆け。多彩な作品を通して作家の心像に触れる、きょうはオペラシティで 「和田誠展」

壁一面を飾る和田誠のポスター作品
壁一面を飾る和田誠のポスター作品

2019年、彼の訃報に触れたとき、好きなアーティストがまた一人逝ってしまった……という言い知れぬ喪失感を覚えたものです。それはあっけない、淡々とした知らせだったことを覚えています。

安西水丸(記事URL)と同様、本人のことはよく知らないけれど、作品を常に見ているアーティストの死。それはしょっちゅう行き来しないけれど、よく知っている親戚のような感覚に陥りやすいのでしょうか。慟哭というほどの悲しみではなく、なぜだか鈍い痛みを感じるのです。

2019年、彼の訃報に触れたとき、好きなアーティストがまた一人逝ってしまった……という言い知れぬ喪失感を覚えたものです。それはあっけない、淡々とした知らせだったことを覚えています。

安西水丸と同様、本人のことはよく知らないけれど、作品を常に見ているアーティストの死。それはしょっちゅう行き来しないけれど、よく知っている親戚のような感覚に陥りやすいのでしょうか。慟哭というほどの悲しみではなく、なぜだか鈍い痛みを感じるのです。

没後初の大回顧展

同展は和田誠が亡くなってから初ともいえる大回顧展。幼少期から没年の直前まで、彼の作品が一堂に会するとあって、注目度はかなり高いのです。

2021年11月11日。その人気から、東京オペラシティウェブサイトのトピックスでは、異例のお知らせが掲載されます。

トピックス(HPより転載)
トピックス(HPより転載)

これが掲示される1日前の11月10日。会場オープン直後に取材へ向かうと驚くほどに多くの人達が訪れていました。緊急非常事態宣言の解除明け。季節は芸術の秋。たくさんの人々が、アートに触れる機会をずっと我慢してきたのでしょう。この日、アートに飢えたギャラリーたちが整然と並んで、和田誠の作品と対峙する機会を待っていたのです。

東京オペラシティアートギャラリー外観
東京オペラシティアートギャラリー外観

和田誠について

和田誠は日本を代表するイラストレーターであり、映画監督であり、文筆家です。2019年に肺炎で亡くなる直前まで、アーティストとして精力的に活動していました。多摩美術大学在学中にその才能を見出され、次々と作品を生み出していきます。彼の代表作といえば、タバコハイライトのパッケージデザインにトリスのキャラクターデザイン。

そのほかにも、「どこかで見たことのある、あのイラスト!」を彼が手掛けています。生涯現役のマルチクリエイターというのが彼の印象です。

幼少期から芳しくかおる才能

本展では広告代理店在籍時代の作品のみならず、幼少期から少年、青年期の作品群を年代別に取りまとめています。支柱に年代と絵が掲示され、その当時の彼の作品に関する記載があいます。ギャラリー達は、柱を中心に回転しながら彼の生涯と作品に触れるという仕掛け。

支柱に年代別に作品と解説が掲示されている。
支柱に年代別に作品と解説が掲示されている。

彼が戦地にいる父を思う幼い筆致に、もうすでに優れたデザインセンスが伺えます。齢4歳にして、彼の母が彼の描いた絵を集めて画集を作ったというのもうなずけますね。

幼少期のころの作品
幼少期のころの作品

最近の展覧会の傾向として、作品そのものを滋味深くじっくり味わうというよりも、展覧会そのもののコンセプトを直(じか)に味わうことの方が多く、今回の「和田誠展」もまさにそれでした。

今回の展覧会は、和田誠という才能の塊(かたまり)の持つ迫力を肌で感じられる催し物となっていました。膨大な作品の一点一点をじっくりと吟味するなら、公式カタログを見た方が良いかもしれません。
作品の描かれた年代や背景についても、丁寧な付記があるからです。けれども、企画展で会場を歩きながら、直接感じてもらいたいものがそこにはあります。

それは、アートの持つエネルギーでしょうか?それとも、和田誠のとどまるところを知らぬ創作意欲でしょうか。いずれにしても、天井近くまで展示されたポスター群を見れば、彼は自身の死をきっと不本意に思っていたに違いないと私は思うのです。それほどまでに、彼の筆致は衰えを知らない。生き生きとしていて、今も観ている人に迫りくるのです。

人生の博打=イラストレーターを生業(なりわい)とすること

得意とした似顔絵
得意とした似顔絵

和田誠こそ、マルチクリエイターのパイオニアといっていいのではないでしょうか。終戦後、急速に近代化していく日本の広告業で、すべてに携わった人材といえます。アーティストとして作品を描くにとどまらず、コピーライティングも手掛け、やがてはそれが映画や音楽へと広がっていくのです。

映画ポスター類
映画ポスター類

彼は自身の仕事を、人生の最大の博打とたとえました。彼の手掛けた映画「麻雀放浪記」に掛けて解いたのです。それが大化けに化けて、最終的にはこの作品群となるのですから、人生は一体何が跳ねるのかわからないものだと思います。

文芸春秋の表紙 多彩な表現

本展では彼の表現の豊かさ、というよりは柔軟さに舌を巻きます。和田誠というアーティストはこれという型におさまらない。特に、その人間性は彼が手掛けた装丁画の作品群を通じて読み解くことができます。ここでは、自身の著書をはじめ、さまざまな作家の著書に対する装丁作品を一挙に取りそろえていました。

ありとあらゆる賞を総なめにし、その世界の重鎮ともなれば、偉くなって近づきがたくなっても仕方ないかもしれません。それが和田誠には当てはまりません。実るほど首を垂れる稲穂かな―――それがまさに言いえて妙なのです。確かに賞は、彼にとって仕事のブースターとなっているようにも見えます。しかし、それは単なる通過点。彼は、賞を取った作風にこだわることはありませんでした。作風の柔軟性、アートに対する自由な発想からの表現手法が彼の最大の魅力です。

それを如実に物語っているのが、58歳のときに版画家の山本容子にリトグラフの手ほどきを受けたこと。このきっかけで、彼は自分の表現手法の一つとして、リトグラフを本の装丁画に取り入れています。 

また2001年、安西水丸と出会ったときはすでに65歳。安西水丸にとってあこがれの人でした。世代を超えた二人はその後、二人展を毎年行うまでになるのです。

彼は作品を生み出すことに素直。まるで赤ん坊のように貪欲でした。そして彼は何より、誰かと一緒に何かを生み出す。そういう能力にとても長けていたように思うのです。人とのかかわりにおいて、敵をむやみに作ることもなく、友情でつながった人には最後まで篤い人だったようです。

ジャズ、映画、絵本 好きなこと全部

和田誠を語る上で、ジャズと映画と文学は切り離せません。幼いころからのあこがれが、彼の原体験となり、イラストレーターの仕事、映画監督の仕事、そして作詞作曲の仕事に果実をもたらします。

歳を重ねながら出会う新たな世界が彼を刺激し、それが作品として還元される。彼の世界はそうしてアートで埋め尽くされ、年を重ねた70代のころには、和田誠のライフスタイルそのものがアーティスティックになっていきました。和田誠それ自体が現代アートやイラストのアイコンとなっていたのは確かです。いつの時代を切り取っても、彼の作品には古臭さが感じられません。

優れたデザインセンスというものは、時代を超越するものなのかもしれません。いつの時代の作品を切り取っても、そこに古さや陳腐さはなく、新しい気風にあふれているのです。

3.11をどう感じていたか

2011年3月11日の東日本大震災について、彼もまた心を寄せた一人です。そして多くの人がその事態にどう接したらよいのかわからなかったとき、彼も同じように迷い、そして彼なりに回答を出しています。

イラストレーターとしてできることをやる。

イラストレーターとして、息の長い支援を声高に宣言することなく実践していました。それがイラストやポスターの作成です。押しつけがましくならないよう、これまでの仕事と同様、相手の気持ちを汲んで粛々と進めるのが彼流なのかもしれません。

デリケートで扱いの難しい政治的な問題にも切り込んだ
デリケートで扱いの難しい政治的な問題にも切り込んだ

これからも、今まで同様

あれだけ輝かしい仕事をしている和田誠でしたが、メディアに取り上げられるのはかなり苦手だったようです。

裏方に徹し、きるだけ表舞台に出ないようにしていたのは、作品と離れてアーティストのキャラが立つことがいやだったのかもしれません。早くにメディアの寵児となった彼でしたが、その姿勢は終生変わらなかったようで、これからも今まで同様、継続する予定でした。

だからでしょうか、彼の訃報もまた、さらりとあっけないものでした。ただ彼の死後、あれだけ天真爛漫で明朗だった平野レミの消えてしまいそうなほど儚く、頼りない姿を見て、改めて彼の存在の大きさを知らされたのです。

会場ではそんな彼を取り上げた動画を見ることができます。彼が作品作りについて語る珍しいショートムービーが放映されているのです。なぜそこにその色を置くのか……イラストを描くときのルール、こだわりが語られています。作品群とともにその姿を見られることも、この展覧会の大きな見どころといえるのではないでしょうか。

和田誠の作業現場を紹介する動画では彼の声を聴くことができる。
和田誠の作業現場を紹介する動画では彼の声を聴くことができる。

好きなこと、平野レミと家族

本展の後半では家庭内の和田誠を垣間見ることができる展示がありました。妻の平野レミが愛用していた手編みのセーターです。

イラストレーター 安西水丸展

彼女へのプレゼントのため、彼がセーターの図案をデザインした一品ものです。前身ごろと後ろ見ごろのデザインが異なっているほか、袖の色なども右と左で変えるなどしていて、遊び心あふれるものも。

何より、色使いなどを見れば、まさに普段視聴者が見ている平野レミを彷彿させます。元気で明るい、天真爛漫な彼女のキャラクターを思わずにいられないセーター。かなり使い込まれていて、彼女が家族へ一心に料理を振る舞い、食事をしていた景色までもが見えてきます。

このセーターを着て何を作り、何を食べたのか。袖まで飛び散ったソースのシミを見るにつけ、彼が家庭人としてどれだけ家族を愛していたのかがわかります。

料理研究家の彼女をリスペクトし、平野レミを心底愛していたのでしょう。それらの展示物は、もしかしたら今回の回顧展の作品群とは明らかに異質で、会場のどちらかといえば本流でないところにひっそりと展示されているのですが、それこそが彼の作品作りの原動力ではなかったか、と感じるのです。彼の魅力の一つは市井の人の感覚。それをはぐくむ暮らしがあったからこそ、彼の作品に強く心惹かれるのかもしれません。

子どもの感性に回帰

私人として二人の子どもに恵まれたことにより、彼の作風や進出する領域に奥行きが生まれました。絵本作りがそれです。芸術家の行きつく先というのはほぼ同じ。安西水丸やピカソもそうだったように、彼もまた目指したのは子どもの絵画なのです。

子どもの絵は、よく見せようという欲から離れていて、ただひたすら描きたいという欲求に忠実だからこそ、心を打つものがある。華々しく輝かしい賞レースで、常にトップであった彼だからこそ、言葉も重く感じられます。

おわりに

本展は2023年まで全国を巡回します。2022年の春は熊本市現代美術館、夏は新潟(調整中)、冬には北九州市立美術館・分館で開催され、2023年の秋 に愛知展が予定されています。没後初の大回顧展とあって、公式カタログはまるで図鑑か辞書並みのボリューム。コストもその内容と相まって納得のいくもので、昭和・平成・令和を駆け抜けた天才イラストレーターの足跡をたどるにふさわしいものとなっています。彼のファンならずとも、イラストレーションと商業コピーの歴史を押さえるといった観点からも、彼の作品を知ることは意味があります。

イラストレーター 安西水丸展

3歳のころにはすでにその才能を開花させていた和田誠。おそらく亡くなる直前まで描き続けていたのではないか。天井を仰ぐように所せましと掲げられた彼の作品群を前に私は、これほどの才能を惜しげなく残してくれたことについての深い感謝を覚えるのと同時に深い、深い喪失感に浸ったのでした。

学生時代、大人の階段ともいえるハイライトの煙草に触れたことのある世代にはたまらなく寂しい。

もう、この作品群に続きがない。圧倒的な才能とあふれる感性を目のあたりにして、実感するのです。
もう、彼はここにいないのだ、と。

展覧会情報

企画展「和田誠展」

公式サイト https://wadamakototen.jp/

2021年10月9日(土) ~12月19日(日)

開催場所 東京オペラシティアートギャラリー
住所   〒163-1403 東京都新宿区西新宿3-20-2
開館時間 11:00–19:00(入場は18:30まで)月曜日休館

入場料
一般    1200[1000]円
大・高生  800[600]円
中学生以下 無料

[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。
割引の併用および入場料の払い戻しはできません。

【主 催】公益財団法人東京オペラシティ文化財団
【協賛】日本生命保険相互会社
【特別協力】和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター
【企画協力】ブルーシープ、888ブックス

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今井 美枝子

今井 美枝子

1965年生まれ。化学メーカーのテクニカルライターと車両板金塗装専門誌記者を経て、フリーランスライターへ。チームでインタビュー記事や企画など、コンテンツのプロデュースも行っています。

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