「手漉き和紙」の製作は畑仕事から。関わる人がすべて主役の「ものづくり」

ナンスカ編集部
ナンスカ編集部
2020.11.04
手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

ひとつのことに集中し、時間をかけて何をつくりあげていく工程。その体験は、様々な情報に翻弄され、喧騒に揉まれている毎日に潤いを与えてくれるのです。

何かのきっかけで、自身が見出した世界にその身を投じ、現代では多くの人が見失った尊い時間を生きる職人やクリエイター。彼らはいったいどのような世界をみているのか。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

私たちは、偶然出会えた職人やクリエイターの眼差しをお借りして、ものづくりの世界を紡ぎだし、お届けしていきます。

今回は、かつて武蔵野国と呼ばれた地域に根づく「小川和紙」。その伝統を守り続ける手漉き和紙工房「たにの」の和紙職人である谷野さんに出会いました。

手漉き和紙工房「たにの」の和紙職人である谷野さん photo by ナンスカ
手漉き和紙工房「たにの」の和紙職人 谷野さん

大切なのは見える部分だけではない。丁寧に眺めると現れる新たな世界

時間をかけて丁寧に、少しずつ形づくられていく「和紙」。繊維が力強く結びついた様子からは、どこか心が落ちつく柔らかさも感じるのです。その佇まいは、1300年以上前から日本人の心を魅了してきました。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

「和紙」を知らない人はいないと思います。しかし、製作工程や原材料まではあまり知られていません。「和紙」の原材料は「楮(こうぞ)」と呼ばれる植物です。「和紙」の製作工程は「楮」の栽培から始まっているのです。

「和紙」にとって大事な「楮」。しかし現在、栽培農家の高齢化などの要因から、収穫量が大幅に減少しています。谷野さんが手がける「和紙」のひとつである「細川紙」は、ユネスコ無形文化遺産に登録されており、製作工程や原材料に独自のこだわりをもった「和紙」です。そういった中で、原材料の「楮」には、必ず国産を使用しています。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

このように、伝統工芸は「製作技術」だけで成立しているのではなく、使用する原材料や道具など、多くの要素が関連しているのです。もちろん、その要素を担う「人」がいてこそ。

そこで谷野さんは、地元の人々と連携して、「楮」の栽培に取り組んでいます。「和紙」の製作といえば、紙を漉く工程のイメージが強いのですが、大切なのはこういった「見えない部分」を大事にすることだそう。谷野さんはこのような信念があり、農業をゼロから始めました。そして、15年の歳月をかけて今ではクオリティも安定し、立派な「楮」が育っているのです。インタビューの帰り道。楮畑を案内してくれた谷野さんの生き生きとした姿がとても印象的でした。

手漉き和紙たにのの楮畑 photo by ナンスカ
手漉き和紙たにのの楮畑

私たちはつい、目で見えて、分かりやすい部分に注目しがちです。身近なところで言えば、毎日の買い物。お店で出会い、気に入って手に取った商品の「スタイル」や「機能」はもちろん大事です。しかし、その背景に少し踏み込んで丁寧に眺めてみると、あなたにとっての新たな世界に通じているのかもしれません。

「気づかずに通り過ぎてしまった、たくさんの大事なことがあるかもしれない」ということを、谷野さんの活動が物語っています。

まさか自分が和紙職人になるなんて。偶然の出会いで開いた扉

谷野さんが「和紙」の世界に入ったのは今から30年程前。実はそれまで、全く畑違いの仕事をしていました。当時、自身が「和紙職人」になるなんて、夢にも思わなかったそう。

谷野さんが上京して、最初に勤務したのは東京の茅場町。バブル景気に沸いた社会の中心地にいたのです。そこからいくつか職は変わったそうですが、「ものづくり」と特に縁があったわけではありませんでした。

そんな谷野さんに転機が訪れます。当時勤めていた企業の物流システム構築担当になり、勤務地が東京から埼玉に変わりました。最初は都内から通勤していたのですが、社長の計らいで埼玉県の熊谷市に転居することになったのです。谷野さんにとって、全く縁もゆかりもない埼玉。観光がてら、週末にはご主人とドライブで地域を散策していたそう。

そしてある日。秩父方面をドライブしていた時に運命の出会があったのです。谷野さんは、ふと目に入った「紙漉き和紙工房」に車を停めて、軽い気持ちで足を踏み入れました。そこで目にしたのは、木漏れ日のように光が差し込む小さな土間で、紙を漉く職人の姿。

それまで「ものづくり」の現場とは遠いところにいた谷野さん。「和紙」にも製作工程があって、つくっている「人」がいるということが、理屈で分かっていても、頭の中で結びついていなかったそう。

谷野さんは、今まで想像の世界であった「ものづくり」の現場を目の当たりにして、「和紙」というモノだけでなく、創り出される光景すべてに「美しさ」を感じたのでした。そして純粋に、その場で「自分もやってみたい」と思ったそう。この偶然の出会いで、現在の谷野さんに通じる扉が開いたのです。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

そこから時々工房に通い、ある時弟子になることを申しでたそう。しかし、当時から伝統工芸の職人は収入面でも厳しい世界。職人さんも自身が生活していくのがやっとで、弟子をとる余裕などなかったのです。

一般的な職業と違って、職人になるためには、誰でも分かる方法などありません。半ば「和紙職人」になることを諦めかけていた時。偶然「和紙職人」への扉が再び大きく開いたのです。谷野さんが何気なく手にした埼玉県の広報紙。埼玉県民になってから定期的に目を通していた広報紙に「小川和紙継承者育成事業」の文字があったのです。これはもう応募するしかありません。

谷野さんは当時を振り返って「仕事が忙しく、疲れていたかもしれない。和紙に出会って、自分の何かに染みたのかも」とおっしゃっています。バブル景気に湧く、華やかで勢いがある時代。一寸先にある、なんとなく息切れするような感覚が社会を覆い始めていたのかもしれません。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

蓋を開けたら多数の応募者。本気で挑む者だけがつかめるチャンス

そんな中、「小川和紙継承者育成事業」には募集定員15名のところ、なんと数百名の応募があったそう。応募者は年齢も職業も動機も様々。選考では現役の職人や有識者との面接や、小論文などで本気度を視られていきました。数ヶ月かけた選考課程を経ていく中で、応募者は絞りこまれていったのです。

谷野さんは和紙職人になる夢を実現させるべく、会社を辞めてアルバイトをはじめていました。そして埼玉県を生活拠点として、住居を構えたのです。こういった意気込と行動が身を結び、大変な倍率の中で「小川和紙継承者育成事業」の研修生となったのです。

そこから、毎週末に研修に通う生活がはじまりました。なんと、研修期間は5年間。当然、生活環境はどんどん変化していきます。同時期にお子さんが産まれたそう。研修とアルバイト、そして子育ての同時進行は至難の業。それだけでも目が回るような忙しさの中、なんとご両親の介護まで重なってしまったのです。肉体的にも精神的にも余裕がない中、普通なら「和紙職人」への道を諦めてもおかしくありません。

しかし、谷野さんはこの大変な状況をエネルギーに変えていきます。色々あって、ストレスが溜まっても、研修に行っている時は気分転換なっていたそう。多忙で中々通えない期間には、少しでも「和紙」の知識を身に着けようと、自宅で勉強。研修に参加できないもどかしさをグッとこらえて、自分なりに前進していく方法を模索していったのです。この苦しい時期に身に着けた知識は自身の血や肉となり、30年経った今でも役にたっているそう。

子育てや介護で思うように動けないからこそ、少しでも早く「仕事」として収入を得られるようにしたい。逆境の中で、悪戦苦闘しながら進んでいく姿。現在、日本を代表する和紙職人として、素晴らしい作品をうみだし続けている谷野さん。その原点は、自身を職人として磨き上げていく経験にあったのです。

職人としての産声を上げて、小さな光を放ちはじめた谷野さん。その光は、かつて自身がドライブの道中で立ち寄った和紙工房を照らす木漏れ日のようにかすかなもの。しかし、そんな谷野さんを、現役の職人たちが放っておくはずがありません。

一日でも早く和紙職人として自立したい。それを阻む大きな壁が

研修生になって3年目の頃。和紙製作を、早く収入を得られる「仕事」として確立したい。谷野さんは、そのような想いを抱きながらも、個人の力ではどうすることもできない壁に阻まれていました。どんなに知識や技術を磨き上げても、「道具」や「工房」が無いことには、「和紙」をつくれません。もちろん、和紙製作の道具は、誰でも気軽に購入できるわけではなく、完全にオーダーメイド。最小限でも一式揃えようとすれば、あっという間に数千万円。

そのような時、谷野さんが前進するきっかを与えてくれたのは、職人の大先輩でした。当時、細川紙技術者協会の会長が行政にかけあって、研修生用の道具一式を貸し出してくれたのです。そしてさらに、地元の大工さんが、自身の車庫を改装して場所を提供してくれたそう。職人の大先輩と地元の方の協力で「道具」と「工房」を得た谷野さんは、職人としての第一歩を踏み出したのです。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

しかし、そこから和紙製作を生活の糧にしていくには、当然自身の作品を誰かに買ってもう必要があります。現在のように誰でも簡単にネットショップを開設できるわけではありません。谷野さんは、製作した作品を小売店へ売り込んで、地道に少しずつ販売していったのです。そして学校や美術館でのワークショップを通して、地元を中心に「和紙」の魅力を発信していきました。そこで、どれだけの人が「和紙」に出会い、その魅力に影響を受けたかは計り知れません。当時ワークショップに参加した親子がいました。最近お子さんが大人になって谷野さんの工房を訪れたそう。子供の頃にふれた「手漉き和紙」の世界に入るべく、谷野さんの工房でインターンシップをすることになったのだとか。

谷野さんがまだ駆け出しの頃。デパートでワークショップをしている時にお客さんから言われた「良い趣味をお持ちね」という一言が、今でも印象に残っているそう。「和紙職人」として生計を立てようとしている谷野さんにとって、その言葉は心に刺さり、同時に職人として奮起につながっていったのです。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

谷野さんに、これまでの歩みで印象的な出来事をおうかがいしました。沈黙の後に「人に助けられている」と、一言。「ものづくり」に対してがむしゃらに、そして真摯に向き合う谷野さんを応援する人が、一人、また一人と加わり。30年という長い年月をかけて、生態系とも言えるような進化を遂げてきたのではないでしょうか。

こいった経験をしてきた谷野さんだからこそ、その活動は「ものづくり」のジャンルや子国境までも超えて、「人」と「人」との化学反応をうみ続けているのです。

「和紙」を未来に繋ぐため。あえて変化する機会を創り出す

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

現在谷野さんは、今まで培ってきた「和紙製作」の技術を起点に様々なチャレンジをしています。例えば、「和紙」でのウエディングドレス製作。素人が少し想像するだけも大変そうな作品ですが、「和紙」の可能を広げるきっかになればと引き受けたそう。他にも、「和紙」の魅力を最大限に活かしたLED照明「and-on」。地元埼玉県の企業である株式会社ワイ・エス・エムとの協業で、地元の素材のこだわった「and-on」は、海外でも高い評価を得ています。

手漉き和紙たにの photo by ナンスカ

谷野さんの活動は国境を超えて、インドネシアのバリ島へ。リゾート地として、多くの観光客が訪れるバリ島ですが、実は地元に根付いた産業が少ないのです。農作物を育てても、保存する設備がありません。初期費用をなるべく押さえつつ、地元の人が安定して生活していけるような産業を、地元で取れる材料を活用して創るにはどうすればよいのか。その答えは、谷野さんが培ってきた「手漉き和紙」の技術にあったのです。

手漉き和紙たにの

谷野さんは日本の伝統工芸である「手漉き和紙」の技術を、バリ島の地元民に継承すべく、支援プロジェクトに参画しています。谷野さんの工房にはバリ島からの研修生が訪れ、技術を学んでいきました。しかし、言語や文化の壁から一筋縄ではいきません。使用する道具ひとつにしても、現地で地元の方がつくると、谷野さんが教えたものとは全く違ってしまうことも。コミュニケーションの難易度が高く、通常なら頓挫してしまいそうなプロジェクト。しかし、谷野さんはこのハードルを行動力で克服していきます。自腹でバリ島まで出向き、「手漉き和紙」の技術を現地の方々に教えてきたそう。しっかりと技術を身に着けて、本気で産業として根付かせて欲しいからこそ、手間暇を惜しまないのです。

手漉き和紙たにの

なんと今では、観光客を相手に「手漉き和紙」が体験できる工房運営にまで発展しているそう。まだ規模は小さいですが、少しずつ産業として根付きはじめているのですね。どんなに歴史ある伝統工芸でも、最初は何もないところからはじまったのです。谷野さんがバリ島の地元民に継承した「手漉き和紙」の技術も、100年経てば現地の伝統工芸になっているかもしれません。

手漉き和紙たにの

1300年以上の伝統がある「和紙」。しかし、その一方で消えてしまった伝統工芸も沢山あるのです。常に変化していかなければ、すぐに取り残され、生活できなくなってしまう。こういった厳しさは、伝統工芸に限らず、どんな職業でも同じだと谷野さんはおっしゃいます。だからこそ常にマイナーチェンジしながら、「和紙」の残り方を考えていく必要があるのです。工房を実験室のようにみたて、異業種の方にも使ってもらいながら、発想を取り入れていきたい。たとえ無茶な提案でもチャレンジしていく。谷野さんはこれまでも「和紙」の可能性を切り開いてきました。だからこそ、さらに進化していく「和紙」をみるため、果敢に前進していくのです。

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